不老泉
想像を絶する規格外のアーティストやアスリートが、畏怖の念から「化けモノ」と称されるように、日本酒にもそんな存在があることを、風の便りに聞きました。
場所は滋賀県高島市。
世界のベストレストラン賞1位を連続受賞してきたデンマークの「noma(ノーマ)」にも採用される程の酒蔵なのです。
たどり着くと、確かに何もかもが規格外でした。
入口に湧き出る天然の仕込み水。酒蔵が自ら自家精米する酒米。蔵のそこかしこにひっそりと、でも確かに息づいている蔵付酵母。
そして何よりも驚かされたのは、酒造りの道具でした。
まずは「木桶」。
上原酒造では酒米を木桶で洗い、木の甑で蒸し、酒造りの一部は木桶で進めています。
ステンレスタンクを使えば手入れは簡単。でも木桶が醸し出す味の深み、自然の力、目に見えない酵母のちからを知っているからこそ、この選択になったのでしょう。
さらに目が釘付けになったのは、大きな木槽(きぶね)です。
厚さ10センチもの桜材で作られた、縦3.5m、横1m、高さ1.2 mというサイズの槽(ふね)、その一方に、酒の出る口が付いています。
全国でも6蔵にしか残されていないというこの木槽。
世界的なレストランをも虜にした不思議なお酒「不老泉」は、木の天秤棒で搾られ、木槽の口からしたたり落ちていました。
昔ながらの製法、木槽天秤しぼり(きぶねてんびんしぼり)による日本酒です。
「化けモノのような日本酒」の真骨頂は、飲み心地が何層にも重なっているところ。
代表者の上原績(うえはらいさお)さんいわく
「ただの液体ではない、酒として生きている水なんです」。
若かりし頃の上原さんは、東京の大学を卒業後もなお、跡を継ぐ気持ちにはなれなかったそうです。
ところが、ほかの蔵の素晴らしい日本酒を、たまたま口にする機会があり、「こんなすごい日本酒があるんだ!」と衝撃を受け、それから酒造りにのめりこんでいったのだそうです。
そのときの感動は、上原さんの酒造りにまっすぐ反映されています。
上原酒造では、ほとんどの酒蔵で一般的に見られる連続蒸米機やヤブタは隅に片付けられています。上原さんいわく「これ、昔は使っていたんです」。
その一言に思わず「ん?」。
ほとんどの酒蔵で「昔は…」というと、木桶、天秤棒を見せられるのが常ですが、ここでは真逆。
木槽天秤しぼりは、天秤の原理を応用してゆっくりと、3日間もかけて搾るため、雑味のない旨い酒が誕生します。
手入れも大変だし、お金もかかる。それでも、いいお酒を造りたい。
未来を見据え、人や技を超えた先を見つめる上原さんの決意が伝わってきます。
先代の杜氏さんがチョークで書き残した槽しぼり(ふねしぼり)の絵が残るタンクを「もう処分品なのに、どうしてもできなくて」と、苦笑いする上原さん。
上原酒造には、過去と未来が入り混じっている。
そこに酒蔵の未来を見た気がしました。
生産効率化、売上増だけを追っていては見えてこない、本当にいい日本酒、旨い日本酒の未来を。