風が吹き抜ける庄内平野を静かに見守る赤い大鳥居。1400年以上の昔から続く出羽三山信仰の本山、羽黒山の門前町で、頑なに手造りで丁寧に酒を醸している酒蔵があります。それが竹の露酒蔵です。
竹の露酒蔵の前身は、1650年代から出羽三山の神々に供えるお神酒(みき)を造っていた宿坊:宮本坊の酒蔵でした。当時から秀逸な酒を醸すと評判だった御神酒蔵が廃業する時、その蔵付き酵母が惜しくて堪らなかった竹の露酒蔵(1858安政5年創業)の2代目が、大正12年に羽黒山麓の新田地域に酒蔵をまるごと移築。現在に続く竹の露酒造場ができあがりました。
竹の露の酒造りの特徴は、なんといっても米と糀と水の調和に尽きるでしょう。毎年11月1日から3月3日までは酒の仕込み。一冬のうちに108夜以上、宿直して糀を造ります。純米吟醸クラス以上の糀作りには一升盛糀蓋法を採用。糀蓋と呼ばれる杉の小箱に一升ずつ蒸米を入れ、糀米から蒸発する水分や熱を親身になって調節作業することで、糀米の成長を助けながら自立心旺盛で強力な糀を育てます。
そして酒の仕込みが終わると春からは酒米の栽培。出羽三山大鳥居周辺の竹の露酒造場の水田では採種39周年を迎える羽黒型“美山錦”だけを作っています。少しでも別の品種の米が混じると均一な精米そして蒸米ができないため、単一品種用に各農機を確保。さらに酒米どうしが搗精機械の中でも混ざらないように、精米の都度、大掃除をして白米づくりの工程も徹底管理しています。
相沢さんに聞くと、「山田錦」などの圏外米を買っていたという時代もあったと言いますが、2002年に全量地元産の岩清水栽培米に切り替えることを決断。その理由は栽培水と仕込水の抜群の相性にありました。
2001年、蔵の地下から究極の水を引き上げることに成功。
これから遡ること1993年、竹の露の近隣地域で温泉を採掘していたところ、酒蔵の地下に33万年前の水晶地層帯を発見、そこにとっておきの銘水が眠っていることが分かりました。しかし、地下水を掘削してもその水が吹き出てこなければ、水の汲み上げに莫大な費用がかかってしまいます。それを案じながらも、相沢さんは一世一代の大博打を打ち掘削を決行。結果、地下水は無事に吹き上がり、ここに勝負あり。掘り出した超軟水は、天然弱アルカリ、高シリカ、高水素、そして微生物や無用成分が全くないという、これ以上ない理想の仕込み水だったのです。
この秘蔵の水と、蔵人たちや地元の農家が手塩をかけてつくった岩清水栽培の酒米のハーモニーには得も言われぬものがありました。実際にデータにもよく現れており、アラミン・パノース・グルタミンといった旨味系のアミノ酸と多糖体が突出した酒ができるようになりました。
出羽燦々で5年、雪女神で5年、全国新酒鑑評会の金賞を連続受賞し、山形県産米100%の酒で国内公式鑑評会で25回の優等賞・金賞受賞という輝かしい経歴を持つこの蔵の酒“白露垂珠(はくろすいしゅ)”。1990年代から海外輸出もされており、アメリカで寿司ブームを起こした立役者として知られるMUTUAL TRADING CO.,INC. 初代会長 金井紀年氏をして「竹の露は、手造りの千石蔵で、初めて海外に輸出されたファースト・オブ・地酒である」と言わしめました。骨太の旨味がありながらも透明感たっぷりでキレの良い竹の露の酒は、食中酒にぴったり。海外に営業へ行くと、必ず展示会に駆けつけてくれるのは、現地の本格的日本食レストランのオーナーシェフさん達なんだそうです。
出羽三山の神々を喜ばせた蔵付き酵母、勉強熱心な地元農家がつくる米、蔵人が手間を惜しまず育てる糀、悠久の時が育んだ水。日本の宝とも言える歴史と技術と人が織りなす至極の一滴が世界中の人々を魅了する日もそう遠くない未来なのかもしれません。
写真提供:竹の露合資会社様